とにかく、無駄が多い。
ものをつくりだすとき。
一日の時間のつかいかた。
人生の歩みかた。
とにかく、無駄をはぶこう。
あれこれ考えると、無駄ばかりがついてくる。
自分でも気がつかない内に無駄はついてきている。
あれこれと、欲をだし、結果的になにも生みだしていない、
なにも終わっていないことにきがつく事が多々ある。
とにかく、無駄をはぶこう。
それには、シンプルに考えること。
庭つくりにおいても、同じ。
空間を人が歩く時、どのようなルートで、どのような風景の展開があり、
どのようなドラマがあるのかを。
その上で、一つの場所場所を考えだす。
人が左右どちらの足が先にでるのか?
視点はどこにいくのか?
なんども、同じ場所を歩く。
同じ場所ではわからなければ、また、ぐるっと全体を歩く。
そうすると、何をするべきか、
何をいれるべきか、何もいれないのか、自然に2、3パターンあらわれる。
それらを、シンプルにいいとこわるいとこなど、視点をさだめれば
つくりだす空間は決まっていくのである。
現場をみて、歩いて、決定していく。実にシンプルに。
そのようにできた空間は、誰が来ても、自然に庭園にとけこむ。
あれこれ考え、つくりだした空間は、個々でちがう解釈になる。
もちろん、あえてメッセージとして、違う味付けをする場合もある。
しかし、自然体とは違う味付けをする場合は、
ものすごく深い、解釈がなけれな、いい空間にならない。
一人の人間では、なし得ない世界である。
話しはずれたが、
常にシンプルに考え導きだす事。
お茶をお客様にだすとき、お客に真ん中から右に少しずらすと、とりやすか?
コーヒーの温度はどれくらいが適切か?
季節やお客様の表情。など、シンプルによみとれば、
自ずと、わかる事である。
シンプルに考えること。
日々、意識して一日を過ごす事である。
しっかりと、何を考えるべきか、認識することである。
シンプルに感じる。
ただ、それだけ。
ものをつくりだすとき。
一日の時間のつかいかた。
人生の歩みかた。
とにかく、無駄をはぶこう。
あれこれ考えると、無駄ばかりがついてくる。
自分でも気がつかない内に無駄はついてきている。
あれこれと、欲をだし、結果的になにも生みだしていない、
なにも終わっていないことにきがつく事が多々ある。
とにかく、無駄をはぶこう。
それには、シンプルに考えること。
庭つくりにおいても、同じ。
空間を人が歩く時、どのようなルートで、どのような風景の展開があり、
どのようなドラマがあるのかを。
その上で、一つの場所場所を考えだす。
人が左右どちらの足が先にでるのか?
視点はどこにいくのか?
なんども、同じ場所を歩く。
同じ場所ではわからなければ、また、ぐるっと全体を歩く。
そうすると、何をするべきか、
何をいれるべきか、何もいれないのか、自然に2、3パターンあらわれる。
それらを、シンプルにいいとこわるいとこなど、視点をさだめれば
つくりだす空間は決まっていくのである。
現場をみて、歩いて、決定していく。実にシンプルに。
そのようにできた空間は、誰が来ても、自然に庭園にとけこむ。
あれこれ考え、つくりだした空間は、個々でちがう解釈になる。
もちろん、あえてメッセージとして、違う味付けをする場合もある。
しかし、自然体とは違う味付けをする場合は、
ものすごく深い、解釈がなけれな、いい空間にならない。
一人の人間では、なし得ない世界である。
話しはずれたが、
常にシンプルに考え導きだす事。
お茶をお客様にだすとき、お客に真ん中から右に少しずらすと、とりやすか?
コーヒーの温度はどれくらいが適切か?
季節やお客様の表情。など、シンプルによみとれば、
自ずと、わかる事である。
シンプルに考えること。
日々、意識して一日を過ごす事である。
しっかりと、何を考えるべきか、認識することである。
シンプルに感じる。
ただ、それだけ。
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樹木をみるとき、どこをみますか?
樹木をみるとき、個々の様々な視点でみます。
一番、樹木の美しいと思う視点があります。
それは、樹木の下からみあげてみること。
樹木をみるのではなく、樹木の葉や枝をぬけておちる太陽の光の先から
みあげる視点。
葉っぱや枝は無造作にのびているのではない。
光をもとめ、一番強くいきる箇所に、ひかりや栄養を吸収できる
場所へとのびている。
それらは、ひとつのルールから重なりあっているのである。
特に山の樹木は洗礼された枝ぶりをしている。
人のてがはいった庭園内においても、すばらいい樹木がある。
剪定する職人さんが、樹木自体をみるのではなく、
隙間からこぼれるひかりの道をつくっているからだ。
なかなかできる事ではないが、それができる職人さんは
今のところ、一人だけ出会っている。
今後もそれらの空間をつくれるひとに出会いたい。
今日のつぶやき
樹木をみるとき、個々の様々な視点でみます。
一番、樹木の美しいと思う視点があります。
それは、樹木の下からみあげてみること。
樹木をみるのではなく、樹木の葉や枝をぬけておちる太陽の光の先から
みあげる視点。
葉っぱや枝は無造作にのびているのではない。
光をもとめ、一番強くいきる箇所に、ひかりや栄養を吸収できる
場所へとのびている。
それらは、ひとつのルールから重なりあっているのである。
特に山の樹木は洗礼された枝ぶりをしている。
人のてがはいった庭園内においても、すばらいい樹木がある。
剪定する職人さんが、樹木自体をみるのではなく、
隙間からこぼれるひかりの道をつくっているからだ。
なかなかできる事ではないが、それができる職人さんは
今のところ、一人だけ出会っている。
今後もそれらの空間をつくれるひとに出会いたい。
今日のつぶやき
たくさんの冬
わたしは孤独な月を友として生きてきた。
その月があとを追う灼熱の太陽は
大地を冬から解き放つ前
わたしたちの感謝の歌に聴きはいった。
たくさんの冬をわたしは生きてきた、
融けてゆく雪の中から、ひ弱な花が現れて
わたしは春の精です、と言った
時のそもそものはじまりから。
「MANY WINTERS」著者:Nancy Woodより
ふゆの今、何を感じ、なにをみて、過ごしていくか。
ふゆは、「生」への予感。みえないことろで準備している。
時がはじまり、一年がはじまる。これから、いきる「生」を感じる時。
日常で、動きだしている「生」を感じながら、
すべての物事をみよう。
一年後の冬は、もっと、すばらいしいもの出会えるだろう。
「MANY WINTERS」著者:Nancy Woodよりを読んで。
さて、2009年、1月が過ぎ、2月に入った。
1月は行く。2月は逃げる。と昔から言われてきている。
その通り、はやいものである。
しかし、時間というのは、いつでも同じで、1日24時間。
日々、しっかりと過ごしていれば、何も問題はない。
わたしは孤独な月を友として生きてきた。
その月があとを追う灼熱の太陽は
大地を冬から解き放つ前
わたしたちの感謝の歌に聴きはいった。
たくさんの冬をわたしは生きてきた、
融けてゆく雪の中から、ひ弱な花が現れて
わたしは春の精です、と言った
時のそもそものはじまりから。
「MANY WINTERS」著者:Nancy Woodより
ふゆの今、何を感じ、なにをみて、過ごしていくか。
ふゆは、「生」への予感。みえないことろで準備している。
時がはじまり、一年がはじまる。これから、いきる「生」を感じる時。
日常で、動きだしている「生」を感じながら、
すべての物事をみよう。
一年後の冬は、もっと、すばらいしいもの出会えるだろう。
「MANY WINTERS」著者:Nancy Woodよりを読んで。
さて、2009年、1月が過ぎ、2月に入った。
1月は行く。2月は逃げる。と昔から言われてきている。
その通り、はやいものである。
しかし、時間というのは、いつでも同じで、1日24時間。
日々、しっかりと過ごしていれば、何も問題はない。
一日24時間。
誰もが共通に与えられている。
何をしても、同じ時間がすぎさっていく。
意識をもてば、時間は時間でなくなる瞬間がある。
それは【一石二鳥】を日々意識して時間をつかうことである。
しかし、今の自分には、【一石二鳥】は当たり前の世界。
なぜなら、自己改革が急務だから。
最近は、【一石二鳥】から【一石三鳥】に変化した。
そして、もっともっとと、、四鳥、五鳥と追いかけかけたが、
【一石三鳥】が限界である。それでも、もう一鳥おいかけて、四鳥逃してしまう。
欲張りすぎだとは思うが、常に追いかけたい。
結果できた言葉は、【一石三鳥一追】。
三鳥をつかまえ、四鳥めを逃がすのではなく、追いかけ続ける。
一鳥追いかける事で、次につながる。
常につづけられる、自分のための言葉。
今日、ここに記す。
【一石二鳥】
一つの事をして同時に二つの利益・効果をあげること。
【一石三鳥一追鳥】
一つの事をして同時に二つの利益・効果をあげ、
逃げる鳥のあとを追いかけること。
誰もが共通に与えられている。
何をしても、同じ時間がすぎさっていく。
意識をもてば、時間は時間でなくなる瞬間がある。
それは【一石二鳥】を日々意識して時間をつかうことである。
しかし、今の自分には、【一石二鳥】は当たり前の世界。
なぜなら、自己改革が急務だから。
最近は、【一石二鳥】から【一石三鳥】に変化した。
そして、もっともっとと、、四鳥、五鳥と追いかけかけたが、
【一石三鳥】が限界である。それでも、もう一鳥おいかけて、四鳥逃してしまう。
欲張りすぎだとは思うが、常に追いかけたい。
結果できた言葉は、【一石三鳥一追】。
三鳥をつかまえ、四鳥めを逃がすのではなく、追いかけ続ける。
一鳥追いかける事で、次につながる。
常につづけられる、自分のための言葉。
今日、ここに記す。
【一石二鳥】
一つの事をして同時に二つの利益・効果をあげること。
【一石三鳥一追鳥】
一つの事をして同時に二つの利益・効果をあげ、
逃げる鳥のあとを追いかけること。
阪神の新井選手が、毎年鹿児島の最福寺で荒行の護摩行を行っている。
新井は今年の修行終了後、同寺の池口恵観法主から【背暗向明】(はいあんこうみょう)という言葉を授かった。
真言密教の言葉【背暗向明】
後ろは闇。
前は光。
一心不乱に前に進む。
新井が授かったこの言葉は、今の自分にとって、とても大切な言葉である。
前に進む時、過去の自分が今の自分を羽交い締めにする時がある。
過去の自分に羽交い締めされていては、前には進めない。
前のある光に向かって、一心不乱に進む事が、大切である。
2009年3月までは、【背暗向明】をテーマに
前に進もうと思う。
新井は今年の修行終了後、同寺の池口恵観法主から【背暗向明】(はいあんこうみょう)という言葉を授かった。
真言密教の言葉【背暗向明】
後ろは闇。
前は光。
一心不乱に前に進む。
新井が授かったこの言葉は、今の自分にとって、とても大切な言葉である。
前に進む時、過去の自分が今の自分を羽交い締めにする時がある。
過去の自分に羽交い締めされていては、前には進めない。
前のある光に向かって、一心不乱に進む事が、大切である。
2009年3月までは、【背暗向明】をテーマに
前に進もうと思う。