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今回からは、京都の歴史背景と共に、
いきたい庭!!をかきとめます。。。

いきたい庭(さん)は
・並河七宝記念館↓
■■■


並河七宝記念館の庭は植治(小川治平衛)作庭。

この庭は、比較的狭い庭です。
棗形の手水鉢、石燈篭、植木や石など、最小限の空間が
無駄がなく、構成された庭です。
民家に琵琶湖疎水を用いた最初の庭園として知られています。

縁側の下に池の水を入り込ませ、民家と庭が一体となっています。
広島の宮島を民家に取り込んだとも
思える空間が素敵。。。

京都に現存する庭の多くが植治作庭、
植治の庭では並河七宝記念館は代表的な初期作品です。

若い頃の作品なので、遊んでますよ。

なぜ、京都では、植治が有名かというと、
明治から大正にかけて、独自のスタイルを確立したのが、
植治こと小川治兵衛だったんです。
江戸時代の自然風景主義的な庭園に、イギリスの自然風景式庭園を取り入れ、
のちに植治流といわれる手法がつくりあがった。

現存する多くに庭が植治によって手入れや作庭しています
植治の写真↓



昭和全般を通じてでは、東福寺で有名な重森三玲。
昭和11〜13年にわたって、全国400余の庭園を実測、
調査し、『日本庭園史図鑑』全26巻を完成させたのは有名です。
ダイナミックな石組が特長的で、「永遠のモダン」を
終生の目標に掲げた人物です。




各時代背景をうまく取り入れてつくった庭が
現在でも認知度が高いですね。

・植治ー疎水
・重森三玲ーモダン

時代背景と、その時代のセンセーショナルな意味を取り入れ
なにかを発信する事が重要だと、庭をみながら思考しますね。

でも、やっぱり庭は「ひと・しぜん」の関係ですね。



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今、みたい庭(に)。

方丈庭園(史跡・特別名勝)-いわゆる「龍安寺の石庭」
幅25メートル、奥行10メートルほどの敷地に白砂を敷き、
15個の石を5か所に点在させただけのシンプルな庭。


なぜ、15個の石なの?

一説では、東洋では十五夜(満月)にあたる15
という数字を「完全」を表すものとしてとらえる思想があり、
15に一つ足りない14は「不完全さ」を表すためといわれています。

また、日本には、日光東照宮の陽明門にみられるように、
「物事は完成した時点から崩壊が始まる」という思想があり、
建造物をわざと不完全なままにしておくことがあります。

そのような思想のもと、
15個の石は、常に14個の石にみえるようにしたのですかね。
でも、一カ所だけ15個にみえる場所があるんです。


他、京都の職人さんはよく知っていますが、
石組の一カ所に、2個の石が使われ、
背後に「小太郎」「清(彦)二郎」の名前がほられています。



石職人が自ら名前をほったりは、なかなかしません。
どのような意図でほったかわかりませんが、
すばらしく、据えおくことができたから、
当時の親方が、名前をほれとでもいったのでしょうか。


この庭をもう一度みたいとおもっているのは、
やっぱり石組み。

シンプルにおかれた、石のバランスがすばらしい。

いつも庭をみるとき、
ここを動かしたら,,,
あそこに石が必要だ。。。
とか考えるのですが、
どうも、龍安寺の石庭の石は、

うごかせるのか?
ふやせるのか?

など、もう一度みて、思考したいと
個人的に思う庭。


最近行きたい!見たい!もう一度みたい!
体感したい!!

と思う庭の独り言。

(いち)東福寺方丈庭園。
(釈迦成道を表現し、八相の庭と命名されている。)
方丈を囲んで東西南北に以下要素で庭があります。

・南庭 - 白川砂で荒海の砂紋を表現しています。
 蓬莱、方丈、瀛洲、壺梁の四仙島を配石し、
 右方には五山が築山として表現されています。

・北庭 - 南の恩賜門内にあった敷石を利用し、
 石と苔を幾何学的な市松模様に配しています。

・西庭 - さつきの刈込みと砂地が大きく市松模様に入り、
 くず石を方形に組んで井田をイメージしています。

・東庭 - 東司の柱石の余材を利用して北斗七星をつくり、
 雲文様の地割に配しています。

個々に庭のイメージが違い、東西南北と変化がある庭です。

今、特にもう一度みたい!と思っている庭は、北庭。




市松模様の庭。
構成がおもしろい。
もう一度、全体を通してみたいなと思う庭です。

ただの市松模様ではないなと・・・

現在、市松模様をとりいれ庭や外構などがあります。
色や質感など、考えた庭や外構だとは思うけど、
感動がなかなかないんです。


東福寺の庭のよさは、
市松模様だけでないなと、おもってました。

その、市松模様だけではない「よさ」をみに

いきたい庭。

写真をみて、「よさ」の予測はできているけど、
実際みにいかないと、予測は確信には変わらない。

実際にみないとわからない。




「市松模様」
江戸時代の歌舞伎役者、初代佐野川市松が舞台「心中万年草」で小姓・粂之助に扮した際、白と紺の正方形を交互に配した袴を履いたことから人気を博し、 着物の柄として流行したことから「市松模様」と呼ばれるようになった。




風になびきながら、風景をみていた。


ふとした瞬間には、前に大きな壁が立ちはだかった。


その瞬間には、壁にあたるしかなく、

どこに、
どのように、
あたればいいのか、
と思った。

壁にあたる前に思った言葉。

それは、「ごめん。」

壁にあたり、

そのあとは、心と体は一体ではなく、
どこにいるのかわからなかった。

感情もなく、自分の足が存在しなかった。

少しずつ、少しずつ、心と体が一体になっていった。


その時思ったことは、

「。」

だった。

空想の世界の独り言。


書籍名:忘れられた日本人
著者:宮本常一

この本は、大学院時代に民族学を研究していた先輩より
進められた本です。
わたしが、[感性空間の探求]を研究テーマに
都市空間や公園などを考えていました。

その時、この本と出会い、
「風景がどうか?」とともに
「風景を感じる人のこころは?生き方は?」
を、日本人という視点で考えさせられた本です。


他民族国家日本、といえるくらい多種多様な価値観が
同じ民族にあると思います。
どこか、心のよりどころとなる新しい価値観を、
日本全体で必死になって模索している時代なのかなと
わたしは思います。

現代を生きる私たちが後戻りをすることはできませんが、
「忘れられた日本人」を読んで、懐かしさに浸るのではなくて、
忘れられた精神世界を取り戻しながらも、
前を向いて進まなければならないと思う本でした。


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