モノをつくる時何を基準につくりだすか?
という問いがあった。
なにを?もとといわれると、明快にこれだというものはない。
周辺にあるのもの、場所の意味(歴史・表情)などをもとに
そこに、あるべき姿が浮かびあがるのである。
風景をつくり出すとは、周辺との関係からそこに存在するべき
空間を抽出する作業であると考えている。
だから、一概には、「コレ」を基準に空間をつくっている。
ような話はない。
自分が生きているという価値だけでなく、
生かされているという考えで物事を考えた時、
風に流れる葉のように、あるべき姿がみえてくるのである。
しかし、そのような考えだけでは「負」の要素を導き出す可能性も高い。
公害や、戦争など(幅広いが)人間の活動からの「負」の要素を導く可能性があるのである。風景のヨミトリから展開を間違えると、そのような事が起こりうる。
しかし、風景のヨミトリをより正確に導く事が必要である。
それらのヨミトリは、言葉にはできないセカイがあると考えている。
それらは、歴史のなかでツクラレテいった世界だが、それはなんなのだろうか?
PR
COMMENTS