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Ken Bukoh
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今日は、ランドスケープに関して考えてみます。


ランドスケープとは、
「自然と人間界との事とが入り交じっている現実のさま」
(『広辞苑』より)を意味します。
それは、人々の生活行為や環境とのかかわりあいからうまれる、
場面のかさなり合いで、自然と人間との相互関係のうちに
つくられた空間といえます。


現在、ランドスケープデザインという職種が存在します。
ランドスケープ(風景)をデザイン(つくる、構築する)する世界です。
そして、自然を相手に、道路や庭など外構計画などを行います。

日本は「ランドスケープ」と「庭園」と
ふたつの言葉が存在しています。
現代では、外来としての「ランドスケープ」が主流になり、
日本固有であった「庭園」が「ランドスケープ」にとりこまれています。

一般的には「ランドスケープ」は自然を扱う、
特に植物を扱う仕事と認識されています。
「ガーデン」「庭園」「外構計画」など様々な要素を
ふくんでおり、結果、何をしているのわからないともいえ、
「風景」であれば、なんでもありになっているのが現状です。


「ガーデン」とは、本来ガンという言葉で、
ガードする・守るという意味と、エデンの合成語です。
エデンというのは喜びとか楽しみという意味です。
要は、自分のテリトリーをつくり、楽しむ空間ということですね。

そして、「庭園」は、
「庭園」という言葉は新しく、もともと「庭」と「園」は
別の意味です。「庭」は実業の場所、平坦な土地を指しています。
古代では神事や政事の場所や屋前広場や、屋内の作業場、
家まわりの空地など、屋敷の敷地、という意味で「庭」の
意味をしめします。

「園」は、日本書紀の孝徳天皇紀にある「園」では、
歴史家の解釈で今日の庭園の意味としてよりも、
一定の管理下にある果樹などを植えた空間とみられています。
そして、所有主の領域を示す「囲われた土地」という意味を、
後に野菜や果樹、また草花を栽培している場所に含ませてました。

「ガーデン」や「庭園」などは、明解な意味が歴史上あります。
その歴史にある意味を「ランドスケープ」は全部含んでとりこんでいます。

ランドスケープ=アメリカっといったところでしょうか。

そのような「ランドスケープ」の行く末は、
なんでもありということもあり、
向かう方向が多方面にとんでいます。

今後、「ランドスケープ」は、どこに向かっていくのでしょうか?
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「自分に知らないことがいっぱいある」
と知ることこそ
上等な知識なのだ。

なんでも頭で知ることができると思うのは、
病人にとっていい。

誰でもみんな一度はこの病にかかるがね、
しかし「知らない領域」からくる道につながった時、
ひとは、この病からぬけでるのだよ、
だって
自分が知識病で病んでいると
知ればとたん
この病は病じゃなくなるからさ。

書籍名:タオー老子 著者:加藤祥造

老子の全81章の全訳本である、ひとつの言葉である。


なにかにとらわれると、他がみえなくなる。
時に、「老子」の考えは、囚われている自分がいる時、
すっと、風をすかしてくれる。

難しいことをいっているのでは、なく
「こだわるが、とらわれない」ことが大切。


ひとは個人個人で大きさの異なる【つぼ】をもっている。

【つぼ】は、人生の経過の中で形を替え、強さもかえる。
それぞれが、もつ【つぼ】の中に、様々な事柄をつめこむ。

最初に【つぼ】にいれるもの。
それは、大きな石。存在が明解なもの。
自分の【つぼ】に大きな石がいっぱいになった時、
自分の【つぼ】は限界だとかんじる。

まだ、【つぼ】はいっぱいではない。

【つぼ】の中には、大きな石の隙間がまだある。
隙間には、小さな石がいれられる。
隙間に小さな石をいれる。
そしたら、自分の【つぼ】がいっぱいになったとかんじる。


まだ、【つぼ】はいっぱいではない。


【つぼ】の中には石と石の小さな隙間がある。
隙間には砂がいれられる。
隙間に砂をいれる。
また、自分の【つぼ】がいっぱいになったとかんじる。


まだ、【つぼ】はいっぱいではない。


【つぼ】の中にはまだ小さな隙間がある。
隙間には水がいれられる。
隙間に水をいれる。

そこで、やっと、自分の【つぼ】の限界がわかる。
石や砂、水もはいった【つぼ】はおもさに耐えられるだろうか。

【つぼ】をもっとつよくしよう。もっとはいる【つぼ】にしよう。


【つぼ】のおおきさは、石や砂、水をすべていれないとわからない。

最初から水をいれると、壊れる。壊れては意味がない。

段階を経て、個人の【つぼ】をいっぱいにしよう。


いま、自分の【つぼ】はいっぱいなのか?



日々、何かにおわれると忘れることがある。
【あそぶ】こと。

【あそぶ】といっても、単に【遊ぶ】(好きな事をして楽しむ)
ということではない。

【あそぶ】ことを忘れては、人間としても、
つくりだす空間も魅力ないものになる。
日常に中で、みえない環境に壁を感じるとき、
まわりがみえなくなる時がある。
そんな時こそ【あそび】が必要になる。

みえない壁にぶつかり、壁とたちむかい、
超える時、あそぶことで、最終魅力あるものができあがる。

あそぶこと。
すべてをあそぶこと。

最後にいきつくさきは、【あそぶ】ことと一緒。


とにかく、無駄が多い。

ものをつくりだすとき。
一日の時間のつかいかた。
人生の歩みかた。

とにかく、無駄をはぶこう。

あれこれ考えると、無駄ばかりがついてくる。
自分でも気がつかない内に無駄はついてきている。
あれこれと、欲をだし、結果的になにも生みだしていない、
なにも終わっていないことにきがつく事が多々ある。

とにかく、無駄をはぶこう。

それには、シンプルに考えること。

庭つくりにおいても、同じ。
空間を人が歩く時、どのようなルートで、どのような風景の展開があり、
どのようなドラマがあるのかを。
その上で、一つの場所場所を考えだす。
人が左右どちらの足が先にでるのか?
視点はどこにいくのか?

なんども、同じ場所を歩く。
同じ場所ではわからなければ、また、ぐるっと全体を歩く。

そうすると、何をするべきか、
何をいれるべきか、何もいれないのか、自然に2、3パターンあらわれる。

それらを、シンプルにいいとこわるいとこなど、視点をさだめれば
つくりだす空間は決まっていくのである。

現場をみて、歩いて、決定していく。実にシンプルに。
そのようにできた空間は、誰が来ても、自然に庭園にとけこむ。

あれこれ考え、つくりだした空間は、個々でちがう解釈になる。
もちろん、あえてメッセージとして、違う味付けをする場合もある。
しかし、自然体とは違う味付けをする場合は、
ものすごく深い、解釈がなけれな、いい空間にならない。
一人の人間では、なし得ない世界である。

話しはずれたが、
常にシンプルに考え導きだす事。
お茶をお客様にだすとき、お客に真ん中から右に少しずらすと、とりやすか?
コーヒーの温度はどれくらいが適切か?
季節やお客様の表情。など、シンプルによみとれば、
自ずと、わかる事である。

シンプルに考えること。
日々、意識して一日を過ごす事である。
しっかりと、何を考えるべきか、認識することである。

シンプルに感じる。
ただ、それだけ。


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