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Ken Bukoh
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今回は、今までシリーズ「いきたい庭」を
書きとめた中で一番はいりこんでしまった時代です。

それが、平安時代の庭。

なぜ、入りこんでしまったか?というと、
【庭】の構成する要素が、【庭】のなかで完結してないからです。

平安時代の庭は、寝殿造りの建築など周辺の構成要素と
一体で考えられていることが多くあります。
また、宴や儀式など人々の行為を基に【庭】がつくられています。

例えば、二条城の南に神泉苑が平安時代につくられました。
ここには、曲水宴、七夕宴、観菊宴、観魚宴、
さらに雨乞いの儀式などが行われています。

このように、庭の要素に周辺要素が多いので
今回は、「いきたい庭」というより
「いきたい昔の場所」といった方がいいのかもしれません。


そして、今回のいきたいにわ(場所)【はち】は
京都市宇治市にある、『平等院』↓


10円玉でお馴染みの平等院。
庭を歩きながら、鳳凰堂をみて楽しみたい場所です。

現在は鳳凰堂を取り囲むように庭園が続いています。
でも,昔は違いました。

手前をながれる宇治川が、現在のため池までつながっており
川から船で入ってきていたいわれています。

何年か前は、鳳凰堂の中島は石垣でできていました。
痕跡をもとに改修が行われ、現在は州浜になっています。
石垣は、水と「対」になります。
州浜は、水と「一体」になりますよね。

このように、宇治川と密接に関係した風景を
つくっていたんですね。
そして、船でも出入りは魅力的ですね。



10円玉で有名な平等院。
庭関係で文化価値のあるものって
なんで紙幣や硬貨などにならないのでしょか?

やっぱり、庭は変化していくからでしょうか?

建築などは、絶対的存在で、
庭は、抽象的存在なんでしょうか?


他、平安時代の庭園は
法金剛院庭園、浄瑠璃寺庭園などです。
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今回は、鎌倉時代の庭について。

少し、鎌倉時代のお話しを。

鎌倉時代になって、建物が寝殿造から書院造に変化するのにともなって、
庭園も変化していきました。
そして、石組への造形が強まった時代です。

鎌倉時代の代表的なものに、南禅寺南禅院庭園。
石組のなかでも、龍門曝(りゅうもんばく)という滝石組が
禅寺を中心につくられました。

龍門曝とは三段の滝を鯉が登っていき、龍と化す、
中国の故事にちなんだ滝石組です。
これが禅寺で好まれたのは、鯉が龍と化すように、
禅者も修行によって悟りを得て変化しなければならないと
考えられたからです。

この龍門曝を創案したのは、
蘭渓道隆→http://ja.wikipedia.org/wiki/蘭渓道隆


そして、夢窓疎石によって広められました。
→http://ja.wikipedia.org/wiki/夢窓疎石



夢窓疎石は鎌倉末期から室町初期にかけて活躍した
臨済宗の禅僧です。
そして、作庭も多く手がけて、室町の枯山水の
先駆け的存在となりました。


今回のいきたい庭【なな】は

夢窓疎石作庭の西芳寺(さいほうじ)通称:苔寺↓


西芳寺のある場所は聖徳太子の別荘であったものを、
奈良時代の僧・行基が寺にしたもの。
当初は「西方寺」と称し、阿弥陀如来を本尊とする
法相宗の寺であったといわれています。

寺伝では、空海、法然などが入寺したと伝えられています。
でも、寺伝は本来の記録かは絶対ではないんですが、
何らかの前身寺院があったものと思われます。

夢窓疎石が、すっかり荒れ果てていた
この寺を禅寺として再興した。
そして、元の名前「西方寺」を
夢窓疎石はこれを「西芳寺」と改めました。


夢窓疎石の墨跡の作品に、
「別無工夫(別に工夫なし)」があります。


「苔寺」の作品と同じ要素を感じます。
夢窓疎石は「別に工夫なし」という言葉通り、
「苔寺」は「苔」を手入れいただけなんです。

龍安寺石庭のように、石の距離や、建物からの見え方など、
「工夫」した作品と違い
お寺のある気候や場所性をいかし、導きだしました。

本来、「庭をつくる」ということは、
場所にあるものを導きだすことだと思います。

その場所にある、「なにか」を導きだした時に、
絶対的な庭「空間・場所」があらわれます。

その、「なにか」を導きだされなかった場所は、
また,新たな手によって、何かをつくりたくなります。


やはり、場所にある魅力をもった庭は素敵ですね。


人間も、個々の魅力をいかしている人が素敵。。。


いきたい庭(ろく)

室町時代の庭をリストアップ。
といきたい所ですが、この時代の庭が明解に残っているの
はほとんどなく、ほぼ、改修を繰り返しています。

たとえば、銀閣寺↓


室町時代、足利義政によってつくられました。
錦鏡池(きんきょうち)を中心とする池泉回遊式庭園。
「苔寺」の通称で知られる西芳寺庭園(夢窓疎石作庭)を模して
つくられたとされていますが、
江戸時代に改修されており、創建当時の面影はかなり失われている
と言われています。
白川砂をならしてつくられた、「銀沙灘」(ぎんしゃだん)、
「向月台」など2つの砂盛りも、
今のような形になったのは江戸時代後期とされています。


でも、純粋にいきたい庭(ろく)にリストアップ

白川砂をつかった庭をつくりたくて、つくった訳ではなく、
そこに白川砂がでてきたから、それを利用してつくった庭。
その土地の風土から生み出されたものが、
その土地に存在した時、魅力ある庭になるんですね。


室町時代の他に有名な庭は、金閣寺庭園。


室町時代は、日本庭園様式のひとつの
浄土式池泉庭園(平安後期)の影響をうけ
石組を増強して、改修した庭園が作られています。

そして、室町後期になると、枯山水の庭が作り始められました。
石組を中心に、水を使わずに、山や滝をあらわし、
白砂によって海や川の流れをあらわした。

実は、龍安寺石庭もこの頃ではないかとされているんです。
室町時代に枯山水がはじまったんですね。


話しはかわりますが、この時代に庭づくりにおいて
興味のある人物がいます。

水墨画:雪舟
室町時代に活躍した水墨画家・禅僧。日本の水墨画を一変させた人物。

秋冬山水図(冬景図)↓


有名な雪舟も数々の枯山水の庭を作りました。
確実とされているのは、山口の常栄寺庭園、福岡の旧亀石坊庭園。

その他に雪舟の作ではないかと考えられている庭園が多くある。
京都では、東福寺芬陀院(雪舟寺)。


絵を描いて、庭づくり。
現代では、「図面」があり庭はつくられています。
予算や工期など様々な要素も含まれる「図面」

でも、本来は、「絵」がよめない人は、庭づくりはできないです。
絵を描くときの、風景のよみとりが、庭づくりに精通します。

「雪舟の庭」
水墨画と共に、庭をみたいものですね。


いきたい庭(ご)

今回は、安土・桃山時代の庭をリストアップ。

醍醐寺三宝院庭園

庭園内撮影禁止なので、この写真。


京都府京都市伏見区にある日本庭園です。
1952年に国の特別史跡および特別名勝に指定された庭。

最初、三宝院庭園は建物から眺めるための鑑賞式庭園としてつくられました。
のちに、庭園内に茶室が置かれ、回遊もできるようになりました。
庭園の中心を占める池には「亀島」「鶴島」が配され、
橋が架けられています。
正面に据えられている「藤戸石」は、秀吉が聚楽第から運ばせたものです。
背後には水の音が変化するようにしつらえられた三段の滝石組が造られています。
三宝院庭園は、安土桃山時代の華やかな雰囲気を
今日に伝える日本庭園として貴重なものといわれています。

庭は、池中心のシンプルな庭園で、
三段の滝石組みが魅力的だったと記憶しています。
回遊式庭園としては、安土・桃山時代の代表作のひとつとして
いきたい庭ですね。

◇安土・桃山時代
この時代は、石組みが豪華になり、
池泉庭園の形態を取りながらも、
そこに枯山水の庭園が作られていきました。

この時代につくられた京都の代表作は、
円徳院庭園、西本願寺対面所庭園など。

他、代表作では、本法寺庭園。
本阿弥光悦の作と伝えられ、「三巴の庭」と呼ばれている。

そして、茶の露地(茶庭)が作られるようになる。
千利休によって、妙喜庵待庵が作られました。
また露地の三要素、つくばい、飛石、石灯籠を導入し、
これらの要素が確立されました。

現在、茶庭に残る要素は、桃山時代〜現代の内につくられた
世界なんですね。

現代でも、取り入れられる世界(茶庭・数寄屋建築)は
まだまだ、これからなのかもしれません。


昭和から大正・明治とさかのぼり、

今回は「江戸時代の庭」のなかで
いきたい庭(よん)

『金地院』ー京都市左京区南禅寺



金地院の庭園[名称:鶴亀の庭]
作庭は小堀遠州です。
遠州作と伝えられる庭は多いいのですが、
この庭は唯一、資料が残っています。

今回は、遠州の庭という事でいきたい庭。

この庭は、江戸初期の代表的枯山水庭園として知られています。


江戸時代の京都の庭にかかせないのが、小堀遠州。


小堀遠州は、幕府の作事奉行、茶道指南役として
多くの庭園の設計を行なったのは有名。

京都では、二条城二の丸庭園、大徳寺の孤篷庵、南禅寺の金地院。
仙洞御所、京都御所などです。


現在京都の有名な庭の多くが江戸時代につくられたものです。
知ってましたか?

三千院、円通寺、酬恩庵、清水寺成就院、曼殊院、
詩仙堂、正伝寺、蓮華寺、智積院、などなど。

江戸時代に、大名庭園が全国的に作られたのですが、
京都では、皇族による庭園がつくられたんです。

桂離宮、修学院離宮が代表です。

また、茶湯の発展にともなって、
草庵茶室、書院茶室に露地が作られた。
表千家露地、裏千家露地、藪内家露地、武者小路千家など。

ほんとに、有名な庭は江戸時代が多いですね。


江戸の庭をみてみると、
明治・大正に庭をつくった植治は、江戸時代の庭を
参考にしてつくられたことがよくわります。
違いは、疎水の水を住宅にとりいれたことですね。


次回は、安土桃山時代あたりの「いきたい庭」
を模索します。


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