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Ken Bukoh
「 いきたい庭(よん) 」
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昭和から大正・明治とさかのぼり、

今回は「江戸時代の庭」のなかで
いきたい庭(よん)

『金地院』ー京都市左京区南禅寺



金地院の庭園[名称:鶴亀の庭]
作庭は小堀遠州です。
遠州作と伝えられる庭は多いいのですが、
この庭は唯一、資料が残っています。

今回は、遠州の庭という事でいきたい庭。

この庭は、江戸初期の代表的枯山水庭園として知られています。


江戸時代の京都の庭にかかせないのが、小堀遠州。


小堀遠州は、幕府の作事奉行、茶道指南役として
多くの庭園の設計を行なったのは有名。

京都では、二条城二の丸庭園、大徳寺の孤篷庵、南禅寺の金地院。
仙洞御所、京都御所などです。


現在京都の有名な庭の多くが江戸時代につくられたものです。
知ってましたか?

三千院、円通寺、酬恩庵、清水寺成就院、曼殊院、
詩仙堂、正伝寺、蓮華寺、智積院、などなど。

江戸時代に、大名庭園が全国的に作られたのですが、
京都では、皇族による庭園がつくられたんです。

桂離宮、修学院離宮が代表です。

また、茶湯の発展にともなって、
草庵茶室、書院茶室に露地が作られた。
表千家露地、裏千家露地、藪内家露地、武者小路千家など。

ほんとに、有名な庭は江戸時代が多いですね。


江戸の庭をみてみると、
明治・大正に庭をつくった植治は、江戸時代の庭を
参考にしてつくられたことがよくわります。
違いは、疎水の水を住宅にとりいれたことですね。


次回は、安土桃山時代あたりの「いきたい庭」
を模索します。
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