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Ken Bukoh
「 いきたい庭(きゅう) 」
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シリーズ「いきたい庭」も九回目になりました。

これまで、京都の庭を中心にいきたに庭を
時代をおって書き込んできました。

しかし、「いきたい庭(きゅう)」になり、
飛鳥時代に突入したことで京都の庭は、
記録として存在していない時代になってしまいました。

飛鳥時代の京都は、朝鮮半島や中国大陸からの渡来人が
移住してくる、帰化人の先進的な技術で新しい開発が
進められた時代。
庭はあったのではと?とおもいます。

現代のようなつくられた庭ではなく、
まわりの自然を吸収した風景をつくりだしている
庭があったのだと思っています。


個人的見解はさておき、
飛鳥時代の庭について。。。

庭園が本格的に作り始められたのは、飛鳥時代からと考えられています。
奈良では飛鳥京、平城京の遺構から庭園が発見されています。

飛鳥京跡苑池遺構、
平城京左京三条二坊宮跡庭園、
平城京跡東院庭園などです。
おおきな池泉庭園で、曲水宴が開かれていたと考えられています。
中国の思想、神仙思想(不老不死の仙人が住む神仙境への信仰)
にもとづいて行なわれていました。
この神仙思想は、日本庭園の底流に流れ続け、
のち蓬莱鶴亀形式として定式化されていきました。

このように、飛鳥時代の庭の構成要素が
現在に引き継がれています。


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