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Ken Bukoh
「 いきたい庭(じゅう) 」
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いきたい庭(じゅう)

今回は古墳時代について

古墳時代に庭は存在していたのか?
から始まりますね。

古墳時代の事を認識するには遺跡。
と、いう事で群馬県にある黒井峯遺跡をリストアップしました。
ここは、古墳時代に噴火した火山の灰や軽石で埋まってしまったムラです。

そのため、当時の生活のようすがよくわかります。
軽石の下からは、地面に穴を掘って、そのうえに屋根をかける竪穴住居や
そのまま柱を立て屋根をかけた平地式住居のまわりに垣根をまわしていました。
建物のまわりには広場や畑、そうしたものをつなぐ道もありました。


豪族の家
豪族の家もあります。「豪族居館」
前方後円墳に葬られるような人が住んでいたような豪族。
一辺86メートルの四角の館で、濠がまわります。濠の斜面には石積があり、中にも何重にも柵がまわります。内側には穴を掘ってそこに柱を立て屋根をかける掘立柱建物と竪穴住居が建っています。
これらの建物といっしょに、広場、井戸、橋、石を敷いたまつりの場所などがあります。めずらしいものとしては、銅の品物をつくったときの道具、鉄鍛冶の道具、まつりの道具などが出土しています。


古墳時代には[庭]とよばれている箇所はないが、
広場や畑そして、かこまれた場所(にわ)があります。

個人的想像では、建物以外の場所を庭として、
生活空間と共に、草木や土器を置いて生活に彩りをもたらしていたのでは考えます。


それでは、今回のいきたい庭(じゅう)
アフリカの田舎!!

行った事ないので、想像です。
以下の写真を見比べて下さい。






上の写真は、古墳時代の復元模型。
下の写真は、アフリカの田舎の航空写真。

見比べてもわかるように、同じようなつくり。
復元模型にはなく、アフリカの田舎の住居にあるもの。
囲われた空間の中にある[樹木]などの木々。
よ〜くみると、住居のまわりにも小さな飾りものが。。

復元は、痕跡を元につくりだすので、
痕跡の残らない「庭」プラスαについては復元しないのですね。

でも、人間の根本的考え[自然・人間]の関係は。
現代も古代も変わらないと思います。


[人]と[庭]の関係において原型に近いものを感じます。
「庭」語源である「園」は、「囲われた土地」という意味。
後に野菜や果樹、また草花を栽培している場所に含ませていた。

以下、ブログ ランドスケープ参照
■■■

現代に「古墳時代のいきたい庭」を考えるときは、
海外にいくしかないですね。
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