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Ken Bukoh
「 いきたい庭(じゅうに) 」
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「いきたい庭」シリーズも終盤をむかえました。
現代から時代をほりさげ書き留めてきました。

今回の「いきたい庭」は、縄文時代についてと、
庭についての概念について。

◇縄文時代
今から1万2000年頃前から気候が徐々に暖かくなり、
海水面が上昇していきました。
動物や植物にも大きな変化が現れ、人々の生活にも大きな影響を与えました。
気候の温暖化に伴って、木々は針葉樹から
クリ・ブナ・クヌギなどの実がなる木の品種がでてきました。
それらの木の実を煮炊きする土器作りが始まりました。

縄文時代には、弓矢が使われるようになりました。
これまでは、槍を中心に使用し弓矢は槍よりも速く、遠くまで飛ぶので、
小型で素早い小動物や鳥類をとることもできるようになりました。
植物や動物、魚介類などの豊富な食料に支えられ、
獲物を追って移動する生活から一定の場所にむらを作り、
定住生活をはじめたのです

縄文時代の食料は縄文貝塚に見ることができます。
ドングリ、トチの実、クリ、ヤマイモなどは、
石皿と磨石ですりつぶして、団子やクッキー状に練られました。
そして、魚介類や肉などと炉に設置された
土器に入れて加熱して食べられました。
土器が普及した事で動物の内臓や木の実や魚介類を煮て
スープを作ることができるようになりました。
味つけは主に塩だったと思われます。
炉は、一般的には屋内にあり、食料の調理だけでなく、
暖房や除湿、照明としての役割も果たしていました。


縄文時代の「食住」を認識する事によって、
縄文時代の人々の生活がみえ、
庭がどのようなカタチで存在していたのかを予測できます。

縦穴式住居—地面を円形や方形に掘り窪め、その中に複数の柱を建て、
      梁や垂木をつなぎあわせて家の骨組みを作り、その上から土、
      葦などの植物で屋根を葺いた建物。木の実などの植物を食した。
食についてー動物を狩りにてしとめ、毎回一日で食してたとは考えにくい。
      天日干しなどなんらかの保存方法で、
      食料の保管につとめたと考えられる。
      木の実などは住居の中にある保存場所をきめて保存していた。


庭=敷地内である広さをあけてある地面

庭の意味が、現代では「敷地内である広さをあけた空間」
現代では、人が住む空間の住居が敷きつめられて
敷地に余白がなくなってきている。

縄文時代は、敷地内という概念はない。
敷地とは、そこにみえる空間すべて。

縄文時代の庭は、「庭」現代の庭にあたる場所が、
庭=全景にあたると考えられる。
庭という言葉のレイヤーはなかったといえます


なぜ「いきたい庭」について書きとめてきたのかというと
1. 京都の庭園
2. 庭のもつ意味
を歴史を辿っていくとわかると認識したからです。


これまでの歴史を踏まえて、未来の庭は?
これからツクル庭はどんなものなのだろうか?

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